ライトノベルの歴史:ジャンルを開拓した新井素子


 のちに、「ライトノベル」と呼ばれるような小説を最初に意識的に書いた作家は新井素子だというのが通説になっている。開拓しただけでなく、新井素子は人気作家となった。

 新井素子の主戦場だった集英社のコバルト文庫には、同時期に、氷室冴子などの売れっ子もいて、彼女たちの築いていったスタイルがライトノベル(ラノベ)の源流となる。

新井素子と氷室冴子

 新井素子や氷室冴子が1980年代の少女たちの心をわしづかみした大きな理由のひとつが文体、言葉づかいだ。それは一種の言文一致運動だったのである。

 10代の少女たちが共感をもつような話し言葉で語られるストーリー。象徴的なのが新井素子の必殺技である「主人公自身による自己紹介」だ。

 主人公の「あたし」が読者に直接、自分はこんな人間だよと語りあげ、テキトーなところで切り上げる。古い小説作法から言えば、反則もいいところである。

 この自己紹介は、アニメのナレーションに近い。もともと、新井素子は『ルパン三世』や『銀河鉄道999』といった当時人気だったアニメを目標に小説を書いていた。

コバルト文庫とスニーカー文庫

 もちろん、新井素子だけがただひとり突然変異でジャンルを作り上げたのではない。そこにいたるまでの流れというのがある。ひとつはコバルト文庫じたいの存在である。

 コバルト文庫は児童文学の中のとくに女児を対象とした少女小説としてはじまった。それが時代に合わせて、少しずつ変化してきたところへ新井素子を得たのである。

 もうひとつ、ラノベの原型を作ったのが角川書店のスニーカー文庫だ。こちらはどちらかというと少年向きだが、アニメ調の表紙イラストや作品世界を打ち出していった。

 スニーカー文庫の方が現在のライトノベル的方法論に意識的だったが、こちらは企画・編集者主導だった。それが売れたのを見て各社が追随し、ジャンルが形成されていった。
 
 
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