書評が悪しきオタク的文章の書き方になっていないか(3)被害妄想


 悪しきオタクは自分以外のものを敵味方に分けたがる。じっさいの敵ならまだしも、相手にそんなつもりがなくても、勝手に自分や自分の好きなものが攻撃されたと思って反発する。一種の被害妄想だ。

 たとえば、スタジオジブリの宮崎駿監督作品は日本どころか海外でも高い評価を受け、人気も高い。が、どんなすぐれた作品であっても、欠点や問題点はある。作品の好きキライとは別次元の話だ。

 大ヒット作の『もののけ姫』は従来の時代劇とはちがうリアルな日本の描き方をしたといった評価があった。一方で、当時の資料に照らし合わせてみると、史実とはちがう部分もある。ファンタジーなんだから、べつにそれはそれとして楽しめばいい。ただ、「リアル」という評価に対して、「必ずしもリアルではない」という指摘は意味がある。

 ところが、悪しきオタクは『もののけ姫』がけなされたと思って怒るんだよね。

 被害妄想の裏返しで、自分の無知は棚に上げ、他人を自分の理解できる程度の卑小な人物にした上で、それを攻撃するということもやる。宮崎駿がキライなら、「左翼崩れ」のような正確かどうかもあやしいレッテルを貼っておいて、そこを非難するみたいなね。

 かりに、宮崎駿のインタビュー本を書評するなら、宮崎駿の発言内容の評価とインタビュー本そのものの評価は分けて考える必要があるが、そういう区別のできない人がいる。

 評価というものは、自分の中で芽生えたものを読者にわかってもらえるよう、世間の評価を横目でニラみながら、表現を工夫しなくちゃならないが、悪しきオタクは自分の中の勝手な基準を絶対の根拠として通じない理屈を述べたがる。

 で、悪しきオタクの代名詞とも言えるのが極端な罵言だ。事実で語る技術がないから、形容詞をエスカレートさせる。それだと、好きなものの魅力を伝えることもできない。
 
 
【参考文献】
 『書評の書き方: ベストセラーを作るブックレビュー』
 
 
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