【新人研修】人殺し研修をおこなう企業の根深い問題

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ゼリア新薬工業の新入社員が2013年5月に自殺し、労災認定された件で、「吃音や過去のイジメを告白させるなど不適切な研修が原因だった」として社員の両親が提訴した。

この事件は裁判で争われるので、部外者が現時点でとやかく言うものではない。しかし、同様の「ハードな新人研修」は広くおこなわれており、一般化した形で問題を論じたい。




ハードな新人研修の実態

企業における新人研修にも一種の流行があって、「ハードな新人研修」がもてはやされる時期というのが何年かに1回めぐってくる印象がある。

今回の事件に近い形で言うと、「まわりの人間に、ひとりの悪いところを指摘させる。それを認めるところから、会社にどう貢献するかを考える」というような研修スタイルだ。

採用してる側には、それなりの理屈があるのだろうが、論じるに値しない。なぜなら、「ハードな新人研修」を採用するというメンタルの方に問題があるからだ。

ひとことで言えば、「いまどきの若い者は」という精神が老いぼれた連中の責任転嫁である。その無能さが前途のある若者を自殺に追い込むのだから、たまったものではない。

経営陣や管理職の無自覚が招くハードな新人研修

研修スタイルを変更する際には、なんらかの動機があるはずだ。業績の不振や頭打ち、社内のコミュニケーション不足、新任の役員や人事課長の実績欲しさ……などなど。

いずれにせよ、それらがうまくいってない原因は、経営陣や中間管理職をはじめ、うまくいってないと感じている当事者本人にある。ところが、本人はそれがわかっていない。

そうして、「いまどきの若い者は」と他人や時代のせいにする。そこへ、人材育成コンサルタントという輩がきたり、ビジネス誌の特集を見たりして、ハードな新人研修を知る。

その「新しい」研修方法を採用すれば、成果が上がる。エビデンス(証拠)もこんなにあると言われて、ハードな新人研修さえ導入すれば、すべてうまくいく気がして採用する。

思考停止した組織に「効果がある」というエビデンスは無意味

昨今のエビデンス、エビデンスと叫ぶ風潮にも問題があって、エビデンスさえあれば正義だと思っている。しかし、エビデンスが説得力をもつのは、理系の研究などの話だ。

たとえば、ある実験をおこなうのに、無菌室のような人工的な環境で、再現性にこだわって、こまかく条件を定めて実行された結果がエビデンスとして、他の論文に引用される。




一方、ビジネスの世界で、「この新人研修を採用したら、業績がアップしました」なんてのは、エビデンスとは呼べない。そんな単純な話じゃないだろってことだ。

あるいは、表面的に一時的に効果はあっても、裏で悪影響が出ているかもしれない。ところが、「いまどきの若い者は」式思考停止の精神的老いぼれどもは、考えが至らない。

不適切な新人研修や人材育成が循環する仕組み

最悪な新人研修を導入する企業というのは、人材育成はもちろん、経営全般に同様の企業体質が蔓延していると考えていい。人を死に追いやるまで気づかぬ鈍感さなのだから。

健全な組織には、賛成意見や反対意見というものがあり、新しい施策は吟味される。しかし、腐った組織は権力者の言ったことにだれも疑問をもたず、そのまま実行される。

そういう組織は早晩破滅を迎えるだろう。ただ、企業というのは、伝統やしがらみがあるので、実質死んでいても、すぐ倒産するとはかぎらない。

新人研修で人死にが出ると、直後は見直されるかもしれないが、それを許した上層部が居すわれば、どうせ業績は悪化し、社内は乱れ、「いまどきの若い者は」と言いはじめる。

悪しき企業体質からは遠ざかるのが賢明

企業体質というのは簡単に変わらない。とくに大企業は少しくらい人が入れ替わったところで、傾向は温存される。陰で上司の悪口を言ってた人間が上司になると二の轍を踏む。

キミが就職先・転職先をさがしているなら、そんな企業にはかかわらぬことだ。入ってしまったのなら、逃げ出すことを考えろ。給料がよくても、それは命の値段だ。
 
 
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