『別冊文藝春秋』完全電子化に勝算はあるのか


 完全電子化された『別冊文藝春秋』が向かう先はどこなのかってこと。

 いまどき、電子書籍化じたいは珍しくともなんともないわけだが、「完全」である。どういうことかというと、5月8日発売の6月号から「電子版1号」として紙の雑誌はやめたのだ。

 『別冊文藝春秋』を読みたければ、電子書籍の形でしか読めない。ついてこられない読者は切り捨てる、というわけだ。

 出版社側のメリットはわかる。コスト削減だ。『別冊文藝春秋』は掲載作品からたくさん直木賞受賞作が生まれていることで有名だが、こういう文芸誌というのは、なかなか売れない。けれど、作家を育てる場がなくなってしまうと、出版社自身があとでこまる。

 だから、少ない予算でできて、場所もとらない電子書籍化はちょうどいい。紙の雑誌と並行させると、紙の雑誌の売上が落ち、1冊あたりのコストがますます上がる。

 問題は読者にとっていいことなのか?

 べつにいいんじゃないのか。電子書籍じたいに抵抗ある層は離れるだろうけど。もともと、文芸誌はファッション雑誌のようなヴィジュアル重視ではない。紙だって安っぽいのを使っている。文字さえ読めればいいのだ。それに、文芸誌を買うのは、わざわざ買って読みたい人たちだから、電子版へ移行するハードルはそれほど障害にならないはず。

 今回統合された電子オリジナル雑誌『つんどく!』で手ごたえがあったのだろう。

 文藝春秋という出版社じたいが13年12月に「文春e-Books 」なる専用レーベルを立ち上げ、電子化の流れに賭けるつもりなら、読者の側の移行を促進することになる。

 心配は、完全電子書籍化が「さりげない廃刊のためのステップ」にならなきゃいいけどってこと。そうしないためには、作家を育てるという本来の目的に注力して、いい作品を載せるしかない。

 どんなビジネスも積極的な展望のない、そろばん勘定だけのコストカットをはじめたとたんに、没落が加速する。